「世の中そんな話もあるんだね。」
”そんな話”です。
過去レポートリンクはこちら
http://retour.seesaa.net/article/95567459.html
http://retour.seesaa.net/article/100633371.html
http://retour.seesaa.net/article/103759662.html
実はこの物件、オーナーから媒介のお話あった時から「将来借主さんへ売却の可能性」をかなり突っ込んだ部分まで詰めて打診していたのです。この時にはオーナーも使用の予定があるかもしれない云々で当時7年という珍しい長期定期借家契約となっていました。
ある意味売買の話をオーナーと進めたところは最近レポートした特集の『サンシティ』と同じで、『サンシティ』の場合はそのまま正規に売買でも公募行われているのはご存知のとおりです。これは不動産投資における「相互に利益となる想定」から計算しているもので、なんたって「そこに住み続けたい」って入居者がいる場合、一番不動産の利益を最大値で認知するのは入居者です。オーナー側は将来の不動産価格変動リスクを10年内外の期間で利益確定させる事でヘッジさせますから、理想はそこに住み続けいたいという入居者がいる場合、不動産自身(土地や部屋や家など)その評価が最大値の人に所有される事が不動産にとっての幸福でもありますから、投資コンサル的に(オーナーに相続含めた長期保有の具体的計画が無いのであれば)「賃貸から後に中古売買」などの話に及ぶ事は「相互に利益となる想定」になります。
えー、苦手な電卓はじいて計算する訳であります(笑
(更新に関してはオーナー直でも可能なのですが、媒介時の関係ありますので「かれこれ7年目かな」と確認したのですよ。)
■そして、この『上板橋中店舗戸建』の運命は、
とっくのまに入居者ご夫妻のマイホームとなっていたのです(しかも店舗はcafeに)。
前述のオーナーサイド使用可能性が無くなり、入居者であるご夫妻にお子様も生まれたとの事で、何せ人格者のオーナが(まだまだ若い方なんですが)「どうです購入されますか」と打診され、
プライバシー保護のため詳しい事は書けないのですが、これまでの賃料分も勘案した金額を提示。この物件は旧法借地権なので、名義変更など難しい部分もあるのですが、地主さんとも円満に名義変更。
当時まだ30代だったご夫婦はマイホーム所有者となったのです。
「えーっ本当スかそれ あら〜よかったですね」となりまして、
早速「その後取材」の約束をしたのでした。
(プロ的には、旧法借地権の中古事業物件は通常住宅ローンはおろか事業系金融機関のローンが必要となったり、そもそも銀行系は審査的に貸付NGだったりもしますから、「現金資産の多い人がキャッシュで」以外はなかなか入手できないタイプの不動産です。事業経営されている初回オーナーからのバトンタッチだからこそ成功した実例だと考えます。)
■久しぶりの上板橋
(何せお子さんや学生さんが多い街です)
駅前の商店街に通り名あるように
「ときわ通り」こちらも『サンシティ』特集で説明したように(上板橋過去レポートでも触れていますが)板橋区の世田谷とも呼ばれる「ときわ台街区」の中核駅となります。
ザックリ範囲の説明しますと、「西に環八・東に環七・南に254号・北に首都高5池袋線」で囲まれたエリアで、ファミリーの街でありとにかく子供が多いので自動的に文教エリアともなっており、ちなみに上板橋駅周辺も学校多数、且つ食料品スーパーも多い街です。
上板橋戸建へのルートは、商店街からヨーカドーのところをちょこっと曲がり、
そこからときわ通りの一本北側裏道を板橋区平和公園を抜けつつ中学校までまっすぐといった道のりです。
環境的にも抜群で、
街自体も賑わっています(とにかく子供が多い街です)。
この日は偶然道路工事で平和公園突破ルートが使えず、ちょいと迂回。
すると「街があまりに平和なものだから」
(街区の四方が幹線道路なので低層住宅街の中は走行中の車もなく)
路上で爆睡中の方が
熟睡のサインである”ピクピク”中の御仁です(笑
前方から公園目指していた小学生のチャリから「あーネコの死体、ネコの死体イーッ。違うよ違うよ、寝てるんだよ。」な声か聞こえてまいりました。
公園に集っているこのような方々です。
間もなく目印の中学校に到着
(「何のお店なのかな?」と中学生が興味津々覗いております。)
入居当時、音楽やっているご主人が軽く練習もできて、お花関係の仕事の奥さま作業場兼住居だったあの家は、現在「cafe兼奥さまのお花関係スタジオ」となっていたのです。
■■■『green CAFE(営業日:日月火 AM11〜PM20)』&『花アトリエ』■■■
東京都板橋区常盤台4-5-23
BLOG:green
http://greenwork.exblog.jp/
cafe化の経緯は以下のようなもので、
確か元の店舗はテーラーだったと思うのですが、この家が店がお客さんを呼ぶのでしょう。
ふと、近所のおばあさんが”お花ワークなアトリエ”に来店し
「あらお店ではないのかしら?」
「とてもいい雰囲気だからお茶でも出して喫茶にしたらいいのに」
なリクエストに答え、時折cafe営業、後にこれはやらねばならないと若い頃の唐沢寿明氏と堀部圭亮氏を足して二で割った雰囲気のご主人が完全cafe化の決断。
若い頃の中井美穂女史を思わせる奥さまと「意中のデザイナーに店舗改装を依託」となり、現在に至る。
さすがに『縁』のある箱(店舗)のなせるワザなのか、ご主人の音楽関係で「えっこの人が」な方まで来店し、冒頭画像にあるように(中学生時代は何気に敷居の高かったcafeに)中学OBが大人になってから訪れるという雰囲気よく街に馴染んだお店となったのです。
(私は、この箱が「また店をやりたいと願ったのではないかしら」と思ったりします。不動産ってねそういうモノなんですよ。部屋や家や箱にも植物のそれのような”姿”があるのです。)
ご主人ミュージシャン時代から近隣もおおらかで理解のある住人多数で、若干音楽が外に漏れてもみなさん寛容に「あら全然構わないわよ」な街であり、
お店としても地域貢献するのが道理と、ご主人は地域の清掃ボランティアを企画し「何年も続いているんですよ」と誇らしげに語っていました。
(店内は禁煙でございます。)
ちょうどこの日は一組「お花関係のワークショップ」予約のお客さんがいらっしゃったのですが、
撮影許可もらい、ちょっと様子をのぞいてみました。
(モデルさん肝心の作品ボケちゃってゴメンww)
営業日が日月火だけという運営で、マイペースなcafe+お花ワークショップな営業がゆったり続けられるのも「所有者だから」ですよね。なんとか長者の昔話じゃありませんが、『縁起を掴む人』(過去レポート記載あるように「一番手に内見予約された方がそのまま一発申込」の成せる流れかと)いるんですよ。
(こういう仕事しているといろんな話に遭遇するものです。)
さて帰り道、
ときわ通りは平和です。
私は取材後「池袋界隈でタバコを」と、ちょっと上機嫌にフラフラ雑司が谷方面の某チェーン店喫茶に向かい、そのまま副都心線の雑司が谷駅へ(池袋から雑司が谷はトータル徒歩20分ちょい)。
「おじさん帰り道?」
「かくかくしかじかでして」
「へーっ、世の中そんな話もあるんだね。」
ちっこいのに立派なハト座りの御仁を後にするのでした。
「さいなら」
彼らにも『縁』がありますように(去り際に後方で声をかけてる人いました)。
2015年09月17日
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実家で飼ってた雌猫(1978年春〜1996年秋)と顔の模様が少し違う程度でよく似ています
父が茅場町の本社へ戻れる事となり1988年4月下旬の東京へ発つ前日に母の友人宅へ養女に出しましたがとても賢い猫でした
“猫は家に着く”で何と!その日に戻って来ました!
距離にして4kmはあったと思います、(勿論初めての道)
私がよく言い聞かせ、両親が再び車で送り届けました
その後は両親の元に農産物・海産物と一緒に写真を度々送ってきてくれましたが1996年11月に老衰でご臨終
その日は銀座で映画を観て、明くる日、母から電話が掛かって来て知った次第です。
通常野良の子で自我の存在を確認できる表情するネコって珍しいのですが(あっても見知らぬ人にはその”表情”を見せない)、機嫌がよかったのでしょうかね(笑
しかもネコが”表情”見せるのは大人になってからが多いので、驚きました。
天才なのかも知れません。